運命の出会い-後編-

Sabuの連載


彼は世界中を飛び回って、料理・食べ物の文書を書いっている人で、自分は忙しいけど、友人が泊めてくれるかも?って流れに。
若さってのは怖いね、全く疑いも無しに旅行を決行。


その友人の容姿の説明は聞いていたけど、サンフランシスコのゲートに到着したら全く違う人が私の名前を持って立っていた。
これがこのおじさん、カルロスとの運命の出会いだよね。
友人、キースは残業で迎えに来れないから、彼に頼んで、明日迎えに来るからと。
何の疑いも無しにこのおじさんの車でサンフランシスコの街中に。


そしてこれが私 のカストロデビューで、この瞬間に私はここに、アメリカのサンフランシスコに住むべきなんだって感じたの。
街中ってより、サンフランシスコの空港に立って、私の家はここだって感じたの!
次の日、説明通りのキースが迎えに来てくれました。
全く言葉も分からへんのに、よくもまあ受け入れてくれたよね?
彼が住んでいたのがサンタクルーズで、空港から1時間半かな?海辺の小さな学生の街。
1LDKの小さなコンドミニアム。ルームメイトも居たので、私は彼の寝室で一緒に、、まあキングサイズベッドだったし?笑。
ご想像はお任せしますが、あっと言う間に一ヶ月が過ぎてお別れの時が。


初恋って、これ?ずっとずっと一緒に居たかった。
帰りの便はロス経由の成田だったけど、窓際に座って居た私。
ずっと泣いてて、隣にいた叔父さんが、サービスで出たサンドイッチをテーブルに乗っけてくれたのを覚えているけど、
もちろん、手もつけづにずっと窓の外を見ながら泣いていた事しか覚えていない。


日本に帰ってからの私は、まわりからしたら、どうしたん?って感じだったのだろうね。
サンタクルーズ、彼の事しか頭になかったし。
毎日手紙を書いて(今ならテキストもメールもあるけど、あの当時は手紙だけだよ!)公衆電話で、ちょっとの会話。
バイトしまくって、旅券を買えるだけ溜まって購入。
大学も辞めて、もう帰ろう(アメリカにね)って思って、母に話したら(アメリカ行きだけね)、激怒!


今考えれば私だって、誰かが同じ事をしようとしたら、激怒だよね。
でも彼の事しか考えられなかった。三ヶ月後には卒業出来るし?ってことで、全てのバイトを辞めて、卒論に集中。
提出と同時にアメリカに渡米しました。


もちろん、卒業式なんて無視、笑。
さあこれからが奮闘。私英語出来ませんーの世界。
受験英語くらいは分かるけど、実際生活するのって?キースは日本語話さないし。
まずは英語学校ね。ここでは椅子取りゲームでなくってちゃんとレベルごとに教えてくれた。


毎晩新しい表現を学ぶたびにキースに使って、、、。
でも寝るときには、ベッドでは会話は止めようねって言われたのは覚えているけど、それだけ学ぶ事の楽しみ?
表現出来る楽しみがあったのだと思う。

映画を観ても、TV見たって、笑えなければ、泣けもしなかったしさ。
言葉って宝物みたいだよね。

ずっと同じ歯医者に行っていたので、サンマテオに引越ししてからも歯医者はサンタクルーズので、フランクにも紹介して同じ歯医者に。
車で1、5時間なので便利ではないけど、やっぱり信頼できる歯医者でって事で。
で、たまたま検診でサンタクルーズに出かけた時に、近くのスーパーで昔の英語の教師と出会ったの。


出会ったのは22年以上前の話。

もちろん、彼女は私のことなんて覚えていなかったけど(大抵の生徒がヒスパニックだしね)、呼び止めて語ったの。
あなたのおかげで今の私がいます。英語を教えてくれて、私はスッチーになれたの。
本当に有難うって。運命の出会いと再会ね。
好きな人との生活。毎日料理して彼の帰りを待ち、まさにハウスワイフだね。


でもずっと日本でも仕事をしてきた私には、収入がないってのが苦でして。
キースの分だけで充分だったけど、頼り切るってのが苦手て。
彼も分かってくれてて、私が仕事を得たときには、両手上げで喜んでくれたけどね。
でもこれがきっかけかな?ずっと家にいなくて良い、仕 事が出来るって望んでいたので、キースはとっても喜んでくれた。
でもスマホもテキスト、メールですらなく、ペイジャーの時代だよ?覚えている?
公衆電話で会話は出来ただろうけど、普通に会話ってめちゃお金かかるし。


やったー、スッチーになりました。

でも私はいきなり国際線。家を離れているだけでなく、国が違うんだよね…。

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