シドニーにサンフランシスコに…波乱万丈な人生…

Sabuの連載


初のカストロに出会って次の日に…

次の日に、バスであった友人のおじさんの友人って言う兄ちゃんが来てくれました。
日本語も話さないけど、とても優しく、始めて逢ったの?って感覚がなくって。
仕事をしているから、ずっと付き合うってのではなく、まさにルームメイト感覚。
その間に私は一人でぶらぶらと。一ヶ月の滞在の後、お別れです。

その時始めて私はこの人に魅かれているのだと気が付いて。
そうです、この人が私の元彼。別れる時の涙は今だに忘れません。飛行中もずっとずっと泣いていたの。
日本に帰国してからも、考える事はアメリカ、そして元彼。人生ってひょんな出会い、きっかけで変わる物なんだよねえ。


すぐに渡米して元彼のもとへ…

卒業したけど、すぐに渡米して元彼のもとへ。
そっから本格的な英語勉強!彼は日本語話さないし、ましてやアメリカに住むにあたって、自分が英語話せないと!
辞書を片手にの生活が続いたが、やっとこさ普通に?会話も出来るようになり、それでもってスッチーの仕事のチャンス。
運命かねえ、問題無しに通ってさ。自分がアメリカに住むって思っても居なければ、スッチーに なる何て夢の夢。
大金持ちでもなければ、医者や弁護士の様な、人様に凄いって言われる職業でも無し?

でも、シドニーに行く時にスッチーを見て、これが私の仕事って思い、サンフランシスコに降り立った時に、ここが私の住む場所って思って,,

波乱万丈な人生…

ほら今その通り。人生って不思議やね。勿論波乱万丈?
ずっと英語学校で勉強している時も、私が専業主婦の様な物、働けないのだしさ。毎日元彼を待っててっての生活。
その後仕事を得て、いざ飛び始めって、ロサンゼルスベースだったの、しかも国際線勤務。
あの当時まだ携帯も無くて、ページャーだよ!今時の子供はそれすら知らないでしょうに?
スケジュールも待機だったので、その期間はロス迄出かけてホテル住まい。
ぺージャーがなったら、会社 に電話して仕事に出かけて。飛んだら最後、帰って来る迄コミュニケーションなし。
やっとの休みも時差ぼけだし。毎日家に居て元彼を待っていたのが、仕事を始めてからは、彼が待ちぼうけで。
仕事をしたかった私を知っているから、飛び始めた頃はとっても喜んでくれてたけど、現状がね。
簡単に電話書けられる訳でも無し、メールも無かった時代。国内ならともかく国際線だったから、帰宅迄はコミュニケーション全く無し!
それが元彼には耐えられなかったのだろうね。夫婦(夫夫)って、家族であり、兄弟姉妹、友人で親子で、、。
でもその夫夫のはれた惚れた部分が無くなってしまったんだよね。家族愛の方が大きくなってしまって。
丁度その頃彼は他の人を見つけ、私もフランクと出逢ったの。嫌いで別 れた人でなく、今でも本当に大切な元彼でして。
遠くに離れてしまっているけど、私の人生からは切り離せない存在。メールとかでは話もしているけどね。

フランクとは一目惚れ…

フランクと出逢って、ぎゃあー、何この人って思える程に一目惚れで。でもフランクはサンフランシスコベース、
私はロスベースの国際線だったし、全く交流無し。通勤中の国内線の飛行機の中でフランクが働いていたのが出逢いなの。
それから付き合いが始まって18年に至。私は過去の事は後悔ってのもあるけど、それでも恥じないし、
その経験があるから今の自分があるんだって、フランクにも伝えて来て。元彼との写真も私には宝物。
普通なら、きっぱり別れて、貰った物も捨ててって感じでしょう?元彼が居たから今の私がある訳 であって、
隠す気も捨てる気も無し。それが嫌なら一緒にも居られないって言った事もあったかも?
フランクはそのままちゃんと受け入れてくれてます。よくラブラブーって言われるけど、喧嘩はしょっちゅうだよ。
でも私に言わせてみれば、喧嘩が無い夫婦(夫夫)の方がおかしいのであって、意見の食い違いを言い合って理解するのが当たり前でしょう?
相手の反応を恐れて隠し事をしなさんなって事かな?

以前話してた牧師さんはというと…

でー、我々を結婚させてくれた牧師さんってのが、サンフランシスコに降り立って最初に出逢ったヒスパニック系の小太りのおじさんなの。
元彼とシドニーへのバスであったおじさんの友人でさ、今でも友人だよ。人生の出逢い、何が起こるか分からないけど、人との出逢いって何処か でつながっているし、重要だよね。
私は本当に友人に支えられて生きているんだって思う。このお返しがいつか皆に出来るだろうか?ってより、しなくてはいけないのだけどね。
てな感じで今回のテキストはおしまい。次回を楽しみに〜♪
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